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雑記置き場

@55lammyの雑記置き場です

はてなブログをはじめた/このブログの基本方針について

はじめに

 

はてなブログをはじめました

  だいぶ前からTwitterが自分に合わず息苦しいと感じるようになってきていたことと、まとまった文章をそれなりの頻度で書きたいというモチベーションが湧いてきた(が長らく運用してきている自サイトには書きたくない)ことから、新たにブログを用意して書くことにしました。

 「まとまった文章を」「それなりの頻度で」書くことを何故意識しはじめたと言うと、まあ、それをしていないと、アウトプット不足に起因した感性の萎縮が、さらには(精神的な)老いがどかどか進行していくのでは、という漠然とした恐怖をここ最近ふつふつと感じていたことが動機です。

 「いいものをいい」「好きなものを好き」あるいは「嫌いなものを嫌い」と表現するための言葉が、文章が、自分の望む通りに出力できない、表現できない。これは非常にもどかしい。(でも仕方が無い。だってこれまで碌に書いてきていないんだから!)

 ということで、このブログは僕の作文のトレーニングを主目的の一つとしています。それと、日記(10年くらい前の表現(人はそれを死語と呼ぶ)を使うならばライフログ)をつけていくこと、あとは「いいものをいい」「好きなものを好き」と記していくこと、あるいは単なる(アウトプットすることによる)頭の中の整理、これらがこのブログの存在理由です。

 

 

 

■このブログの基本方針について

  このブログには主に以下について書いていくつもりです。

 

・日記

 日記です。まさしく自分のためだけの文章を書きます。なるべく気軽に書きたいけど、後から読んでも読むに耐えうる程度のなるべく恥ずかしくない文章を書くようにこころがけたい。

 

・雑記

 特にカテゴライズせず、思ったことを雑多に書きます。

 日記との差別化をどうするかですが、日記はその日その時の出来事やとりとめもないことについて気軽に書くカテゴリにして、こっちは1記事につき1つのテーマをはっきり設けて書く、とかにしようかと思っています。日記よりはちゃんと読み物を意識した文章を書く、といったところでしょうか。

 

・映画、小説、アニメ、マンガ、テレビドラマ等の感想文

 感想文です。「批評」では無いです。

 なぜわざわざ「「批評」では無いです」とことわりを入れるかと言うと、僕は批評を書ける程の体系的な知識や、多角的な視野からコンテンツを読み取る力や、それを正確かつ誠実かつ公正に(そして読み応えのあるものに)書き上げるだけの作文能力を充分持ち合わせていないからです。この現状で無理に批評を書こうとしたところで、それは無責任で読み手を不快にさせる駄文にしかならないでしょう。

  僕が大好きな作家のひとりである伊藤計劃氏は「伊藤計劃映画時評集1」の冒頭にて、

 映画批評っていうのはレビューではない。もっと体系的だし、少なくともウェブに溢れる「面白い」「つまらない」といった感想程度のゴシップではない。

 ーー印象批評と規範批評の粗雑な合体であってはいけない。厳密な意味での「批評」は、その映画から思いもよらなかったヴィジョンをひねり出すことができる、面白い読み物だ。

 と述べています。また、『批評』を辞書で引くと、「事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。」と記されています。批評とはジャッジメントを下す行為であり、僕のような凡人が気軽に行っていい行為では無いのです。

  であるため、僕の文章はあくまで「感想文」として書きます。責任を負うことから逃げている、予防線を張っているだけとしか思えない、と受け取られてしまうかもしれませんが、僕は僕なりに「正確かつ誠実かつ公正に(そして読み応えのあるものに、なればいいな)」という文章の作文に励みますので、ご容赦願いますといったところです。

 

Running Pictures―伊藤計劃映画時評集〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

Running Pictures―伊藤計劃映画時評集〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

 

■感想文を書く上での指針

 これに関しても伊藤計劃氏のエントリ( http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20080804 )にて「信用してはならない映画評の書き手の見分け方」が強烈でかなり目を覚まさせられます。以下引用。

以下のセンテンスまたは類似の言葉を使っている映画評は信用できないorつまらない、というワードを淡々と列挙するよ。

 

・ストーリーが読めてしまうからよくない

・エンターティメント(娯楽映画)としてはすばらしい

・芸術としてはすばらしい

・人物描写が浅い(薄い)からよくない

・人物描写が深い(しっかりしている)からいい

・テーマが深いのでいい

・テーマが浅いのでよくない

・テーマが見えてこないのでよくない

・テーマが描けていないのでよくない

・ある社会との関連が薄いのでよくない

・ある社会をよくとらえているのですばらしい

・ある思想なり社会批評なりが描けていないからつまらない

・ある思想なり社会批評なりが描けているからよい

・登場人物に感情移入できないからつまらない

 

と書いている人。 

 エントリ中では以降更にバッサリ切りまくっていて痛烈です。一方で、氏がどれだけ「『言葉』は慎重に、大切に扱うべきものである」と考えていたのかを窺い知ることができるエントリだと思っています。(他にも、「伊藤計劃映画時評集」や「伊藤計劃記録」を読むと氏の評論におけるポリシーや矜持が知れます。加えて上記は、氏の長編作品(「虐殺器官」や「ハーモニー」など)の制作ノートとしての側面もあり、資料的価値を感じるほか、純粋に読み物として非常に面白いです。闘病記録も多量に記されているので「面白い」という表現はどうかとも思いますが……)

 

伊藤計劃記録 I (ハヤカワ文庫JA)

伊藤計劃記録 I (ハヤカワ文庫JA)

 
伊藤計劃記録 II (ハヤカワ文庫JA)

伊藤計劃記録 II (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 結局のところ、

・「自分の目に見えたもの」は自分だけが認識したものでしかなく、それを唯一解、あるいは大多数にとって標準的な解のように語るのはナンセンスである

・数多の要素が複雑に絡み合って出来ているコンテンツに対して僅かな数の尺度のみで良し悪しのジャッジを下すのはナンセンスである

ネットスラングや流行りの言葉(最近で言えば「感動ポルノ」など。どうでもいいけどこのワードの思考停止っぷり僕大嫌いなんですよね。すいません話が逸れました)を用いて何となく「俺分かってますよ」的な雰囲気を出しているだけの語りはナンセンスである

・不用意なレッテル貼りは誠実さに欠けるのみならず、自身の感性の萎縮っぷりを自白する行為であり大変ナンセンスである

 などなど。書き出してみると至極当然の話ばかりで、一般教養、一般常識レベルのように思えるのですが、どうにも筆が乗ってくると冷静さを欠いていき、そういうときは大抵上記のような地雷をドカドカ踏み抜く羽目になるんでしょうね。(無論自戒の意を込めて書いています。)

 

このエントリは適宜見直して修正入れようと思います。今後新規エントリを書く前には必ず目を通して自身のブレを正すための文章にしたい。

(記:2016年10月11日

 修正:2016年10月13日)